武田信玄の霞堤、意味と由来【用語解説】
霞堤とは、甲斐国(現在の山梨県)の戦国武将、武田信玄が考案したとされる堤防のことです。
武田信玄の治水事業は、信玄が後世に残した最大の功績の一つと考えられています。
かつて甲斐国では、氾濫の多い暴れ川を抱え、特に甲府盆地を流れる釜無川の流域は、古来から大雨による水害が多発する地域でした。
水害のたびに、周辺の田畑や家屋に甚大な被害が生じることから、武田信玄は、水害対策として一大治水事業に取り組みます。
信玄が行った治水システムの総称として「信玄堤」という名称が有名(具体的な堤防そのものを指す場合もある)ですが、この信玄堤の一つに「霞堤」という手法もあります。
言わば、信玄堤という大きな防御システムの一つに霞堤もある、と言えるかもしれません。
霞堤の構造を、簡単に解説すると、川に不連続な切れ目を入れ、氾濫しそうなときの逃げ道を用意しておく、というものです。
強引に抑え込むというよりは、自然の力を上手に逃がしてあげる、という方法と言えるでしょう。
絶対に決壊しないようにする、ということを目標に、切れ目なく堤防を築いた場合、一度決壊した際に大惨事となり兼ねません。
一方、信玄の霞堤では、決壊することを前提として、驚異的な大自然を相手に「上手に負ける」ことで被害を最小限に食い止める、ということを主眼としています。
(霞堤は)間が開いている、変わった堤防です。完全な遮断を敢えてしないのです。大雨で川が氾濫すると、増量した水をわざと越流させ、霞堤間に導いて、滞留させます。
そうすることで、洪水のエネルギーをパワーダウンさせるのです。
霞堤はエネルギーを喪失した洪水流を速やかに本流に戻すという機能を担っています。平地部には霞堤を2重3重に築き、氾濫したとしても、その水を釜無川に戻しやすくしたのでした。
がっちりと切れ目なく築くほうが強固な対策に見えるかも知れませんが、この場合(東日本大震災でもそうだったように)、いったん決壊してしまうと、あっという間にすさまじい氾濫と洪水が起きてしまいます。
一見、脆そうに見える霞堤のほうが、いざというときの被害が少なくてすむのです。
洪水を完ぺきに封じ込めることを目指すのではなく、洪水が起こることを前提に、流域全体の力を使って、水の流れを制御しているこのしくみは、「しなやかに強い」レジリエンスの好例ではないかと思います。
近年の水害の多発から、再び霞堤も注目されています(「決壊しない堤防」をつくった武田信玄の発想法に学べ Forbes Japan)。
ちなみに、信玄堤という言葉が使われるようになったのは江戸時代の頃からで、霞堤と表現されるようになったのも明治に入ってからのようです。
この霞堤という名称は、堤防が折れ重なり、霞がたなびくように見えることに由来します。