八代ふるさと公園の岡・銚子塚古墳と盃塚古墳
笛吹市にある八代ふるさと公園は、桜の名所であるとともに、公園内に古墳があることでも有名です。
園内には、その名の通り「古墳広場」があり、広場には復元された二つの古墳「岡・銚子塚古墳」と「盃塚古墳」があります。
岡・銚子塚古墳
岡・銚子塚古墳
岡・銚子塚古墳は、4世紀後半に築かれたと言われる前方後円墳で、1992年の公園整備に伴う発掘調査で全容が判明。
大きさは、全長が92m。後円部径は48mで、高さ7.5m。前方部幅は41mで、高さは4mになります。
前方部は北東を向き、遺体を納めた主体部は粘土で造られているとのこと。
なぜ頭に「岡」と付いているかと言うと、甲府市の下曽根町にある「甲斐銚子塚古墳」と区別する、というのが理由です。
以下、岡・銚子塚古墳に関する碑に記された説明です。
県指定 史跡 岡・銚子塚古墳
昭和63年5月12日指定この古墳は、山梨県でも有数の規模を誇る前方後円墳で、周囲に壕がめぐり、墳丘に埴輪が樹立されていた。この古墳が造られた時は、墳丘の斜面全体が石で覆われていたと発掘調査の結果考えられる。遺体を納めた主体部は、後円部の墳頂にあり、丸太を縦に割ってくりぬき、それを合わせた棺の周囲を粘土で包んだ、いわゆる粘土槨である。江戸時代の宝暦13年(1763)に発掘された際に副葬品として銅鏡や鉄刀・玉類・鉄斧などが発見された記録がある。現在は、発掘調査によって発見された鉄剣や鉄刀・鉄鏃・埴輪片を町教育委員会が保管している。
この古墳は、副葬品・埴輪などから4世紀後葉に造られたこの地域周辺の支配者層の墓と考えられ、甲斐の古代史を解明するうえで欠くことのできない貴重な資料である。
<規模>
全長:92m、後円部径:48m、同高さ7.5m、前方部幅41m、同高さ4m
平成6年10月 山梨県教育委員会 八代町教育委員会
ちなみに、山梨県内の古墳のうち、岡・銚子塚古墳とほぼ同時期と考えられる古墳には、甲府市の大丸山古墳、甲斐銚子塚古墳、丸山塚古墳、南アルプス市の物見塚古墳があります。
特に、甲斐銚子塚古墳とは密接な関わりもあったと考えられています。
両「銚子塚古墳」を比較すると、被葬者には、権力の差があったものと見られます。
甲斐銚子塚古墳の主体部は竪穴式石室で、副葬品には仿製三角縁神獣鏡・環状乳神獣鏡などがあります。
岡・銚子塚古墳の主体部は粘土槨で、鏡3面の出土は知られていますが、鏡式が明確なものは鼉龍鏡と仿製二神二獣鏡の2面だけです。
両者の主体部の違いは権力の差によるものと考えられます。
また鏡については、甲斐地域の首長たちにとって三角縁神獣鏡ないし環状乳神獣鏡によって同族関係を承認し合うことが重要であったと考えられています。
つまり、岡・銚子塚古墳は甲斐地域の首長たちの古墳とは一線を画しており、岡・銚子塚古墳の被葬者は八代地域の首長と捉えられています。
盃塚古墳
盃塚古墳と桜
一方、隣にある盃塚古墳は、5世紀前半に築かれたとされる円墳です。
大きさは、全長が23m、高さは4.5m。近くには、二本のソメイヨシノ(甲州蚕影桜)が立っています。
以下は、盃塚古墳の碑に記された説明です。
町指定
史跡 盃塚古墳
昭和55年3月31日指定この古墳は、岡・銚子塚古墳の北東約50mの位置にあり、八代町内でも有数の規模を誇る。墳丘が著しく変形しており原形が定かでなかったが、平成4年度の発掘調査により直径23mの円墳で、周囲に幅1.8mの壕があることを確認した。遺体を納めた主体部は、墳丘が著しく変形していたため確認できなかったが、墳頂部のトレンチより円礫が多く発見されていることから、竪穴式石室であると推定される。副葬品は、発掘調査等によって発見した鉄刀や鉄鏃・鉇があり町教育委員会で保管している。
この古墳は、5世紀頃に造られた八代町周辺の支配者層の墓と推定される。
規模:直径23m、高さ4.5m
平成6年10月 八代町教育委員会
どちらの古墳も登ることが可能で、古墳の上に立って眺める景色は壮観です。
銚子塚古墳からの眺め