昇仙峡にある、長田円右衛門の石碑
石碑
甲府市の北部に位置する名所として人気の場所に、荒川上流の清流や美しい渓谷の昇仙峡があります。
断崖や奇岩など、自然の造形美が堪能できる名所で、紅葉の時期になると海外観光客も含めて多くの人が訪れます。
川のせせらぎを聴きながら、散策にぴったりの昇仙峡。歩いていると、岩のトンネルのような力強い石門があり、その先には、小さなあずまやと石碑が建っています。
石碑は、江戸時代にこの地の開拓に貢献した、「長田円右衛門」の碑です。
長田円右衛門は、名前の読み方が「えんえもん」と言い、猪狩村(現在の甲府市猪狩町)で生まれた、江戸時代後期の農民です。
岩盤が連なる深い谷の秘境に住む地元の人々が、人馬ともに安心して通ることのできる生活道路を切り拓こうと、長田円右衛門は、近隣の村とも協力して工事に取り組み、道を完成させます。
この新道の事業によって、昇仙峡が徐々に世間に知られるようになります。
当時の猪狩村の人々は炭や薪を甲府の街で売ることを生業としていたが、当時の道路状況から甲府に出るには荒川沿いを避けて遠回りする必要があったため、甲府への片道に一日を費やす状況であった。
こうした状況を見かねた円右衛門は荒川沿いの開道を企て、甲府への新道を開く難工事を始め、天保14年に通算9年を要した新道が完成している。
円右衛門により完成したこの新道が、天下の景勝昇仙峡を世に出した御岳新道である。
道が完成したあとも、「お助け小屋」と呼ばれた通行人が休む場所をつくり、お茶を振る舞ったり、わらじを売ったりと、62歳で亡くなるまで昇仙峡のために尽力します。
長田円右衛門の石碑には、「手足にヒビ、アカギレを切らしながら、山を切り谷を割るなど苦難の末、始めて道を開いた。顔は醜く鬼のようではあるが心は菩薩のようである。」と記されています。
当地には、円右衛門伝承館もあります。